九模連 九州RC模航空連合会

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九模連 九州RC模型航空連合会

過去の要綱

 

故 渡邊専司先生の思い出

過去データ模型航空ひとすじ飛翔あざやかなり
過去データヨーロッパの大型R/C機を見る
過去データ空港にまつわる話
過去データ「第12回RC航空ページェント」を観る
過去データフランス航空宇宙博物館 駆け足見学記
過去データ春風に乗って

模型航空ひとすじ飛翔あざやかなり

後藤加代子の悠遊レポート・14

渡邉専司さん 渡邉専司さん

左:ダグラスF4D-1“Skyray” スケール1/7に、デンマーク製SimJetエンジンを装填する。
右:渡邉専司さん

Profil

渡邉専司さん(Senji Watanabe)
1931年福岡生れ。福岡商大(現福岡大)卒後、1954年福岡市中学教員に。
小学生の頃から模型製作に熱中する航空少年だった。

1950年第3回全日本模型飛行機競技大会2位を皮切りに、1951年には同大会Uコン・スピード部門など3分野で優勝。
以後、全国優勝・日本記録樹立を次々と果たし競技者として活躍。
教官・審査員歴も長く、日本模型航空界の重鎮。1992年に教職を定年退職。

1997年からは国際航空連盟(FAI)/国際模型航空委員会(CIAM)日本代表委員。
地元九州RC模型航空連合会では、1960年発足当初からの事務局長。
1999年FAIよりエア・スポーツ・メダル受賞。著書に「RCハイテクダイジェスト」(共著)電波実験社、「RCヘリコプター204のQ&A」(訳)電波実験社など。

 

渡邉専司さん 渡邉専司さん

左:ダグラスF4D-1“Skyray”(Uコン)。1954年5月福岡市平和台競技場。

右:1992年3月、定年退職を記念して全校生徒と職員が作ってくれた人文字を、模型飛行機から空撮。模型による空撮は、九州大学考古学教室・鏡山猛教授の指導のもと、1965年10月、唐津市の遺跡撮影から開始し、全国から大きな反響を受けた。

 

渡邉専司さん 渡邉専司さん

左:1972年、離着陸で有利な模型ヘリコプターの飛行に成功。火山の空中探査、農薬散布などの可能性が認められ、1973年のNHK番組「今年に翔る」でも紹介された。
当時は8mmシネカメラを搭載して遺跡調査に使用。
カメラを外して文化祭で。

右:九州RC模型航空連合会では、飛行機、グライダー、ヘリコプター、スケールモデルなどの競技大会・検定会を年間16回ほど開催する。
写真はサーマルグライダー競技大会で。

 

渡邉専司さん 渡邉専司さん

左:サーマルグライダー競技のスタート風景

右:1958年「第11回全日本模型飛行機競技大会 C/L速度C/J級」で2位を獲得した機体。
エンジンはダイナジェット改造、主材料は桐、アルミ板。

 

永遠の趣味

「小学2年の頃、おじいさんがゴム動力の飛行機を作って飛ばして見せてくれたのがこの世界の始めでしょうか」

渡邉さんは穏やかな笑みを絶やさず話し始めた。
国民学校の少年たちには、模型飛行機作りは正課の授業だった。
飛行機・大空への憧れが国策として醸成された時代、渡邉さんのウデもぐんぐん上達。
フリー・フライト(FF)のグライダー、ゴム動力のA-1などを製作し、各校対抗の競技会で代表が務まるほどに。中学生のときに終戦。福岡にも米軍が進駐し学校の体育館が接収された。
その中に模型を楽しむ米兵たちがいて、交流が始まった。見たこともなかった機体に心が躍った。

「1947年春に完成させたUコン機は、父が買ってくれたOS-K6型を積んだスケール機エアロンカ。
その後の愛用機は、Uコン速度競技のスクリーミング・ディモン、曲技競技ではチーフなど。
米兵からは貴重なドゥーリング61、ダイナジェット(パルス・ジェット)などを入手し、もっぱらスピード競技を目指していました」

1949年、初の公式競技/日本模型飛行機競技連盟全国大会九州地区予選で優勝。模型の師・九大の佐藤博教授に引率され、夜汽車に揺られて上京、全国大会に臨む。
50年、FF部門でぺイロード競技1/2Aオープン級2位。1951年、Uコン・スピードD級、ジェット級/セニア優勝など3部門で優勝、1部門3位の好成績を達成する。

福岡商大(現福岡大学)3年時に航空再開となり、航空部に所属、北九州の曽根(現北九州空港)で活動していた。
プライマリーの全盛期で10mも飛び上がれば、皆が驚喜した。

「中学時代、いつも上級生のゴム索曳航に駆りだされるだけで、なかなか飛ばせてもらえませんでした。
やっと自分の番が来た!と思った頃に練習が終わる。
結局、大学の航空部でも実際に飛んだ回数はそう多くなかった」

飛びたい、と思いながら飛べなかった日々、思いは複雑だった。

「ふっと思ったのです。
職業と趣味は分けておこうと。
仕事にしてしまったら趣味ではなくなる。
ですから、飛ぶことは永遠の趣味にしておこうと」

 

種蒔く人

大学卒業後、渡邉さんは福岡市の中学教員に。
職業・家庭科(現今の技術・家庭科)を担当。
初赴任した中学でさっそく模型航空クラブを創設、指導に当たった。

「教育というのは、様々な可能性を引き出すことだと思いますね。
今どうか、ということでなく、遠い将来に向かって種を蒔いておく。クラブに入って、その後国際線のパイロットになった生徒もいますし、大手自動車メーカーの技術屋さんとして成功した者もいます。
彼らにとって模型や空は、人生選択のひとつのきっかけにはなったのでしょう」

教員冥利、と言う。
教職に就いて2年目の昭和30年、渡邉さんは選ばれて、文部省/日本航空協会共催「第1回全国模型教育指導者講習会」に派遣された。
敗戦から日浅く、航空再開後わずかしか経っていないこの時期、講師陣の中には木村秀政氏らの名もあった。日本の科学技術振興に賭けた、時代の息吹が伝わってくる話。
文部省肝入りの講習会に選ばれた人々の責任感や自負も、相当なものだったろう。

 

RC模型時代のパイオニアとして

「1955年前後に刊行されていた『KIMAC News』に、小川精機(株)初代社長の小川重夫氏が今後の模型としてRC飛行機の記事を書かれたのを読み、新しい時代が来た!と思いましたね」

常に模型界第一線に立ってきた渡邉さんの反応は早かった。

「1955年、当時の福岡模型飛行機クラブの田崎会長さんと2人で、高価だった三鴻通信工業の送受信機[スーパー・テレトロール]を購入しました。
民間ではまだ電波が自由に使えない時代で、米軍基地内で使わせてもらいました」

価格は月給の3ヶ月分。しかし、これを搭載した渡邉さんのRC1号機「ウインディー」はエンジン始動と無線機のチューニングに手こずり、ついに飛び立つことはなかった。
成功したのは2号機のOSミニトロン、KO09ディーゼル搭載の加藤無線飛行機(MK)製キット「スーパータイガー」。

「衝撃的な感動でしたね。FF機は回収が大変ですが、RC機は間違いなく我が手に戻ってくる!」

初のRC競技会出場は1960年、第1回全九州RC模型飛行機競技大会だった。
「ペリジー」、「トーラス」、「クルセーダー」、「STY-X」などで出場、以後第10回大会まで現役選手として活躍した。
更にRCヘリコブター、RCグライダー、RCスケールモデルと全九州RC模型競技大会の種目を次々に開拓し、ファンのレベル向上へつなげていった。

 

Skyray

大型模型・ダグラスF4D-1“Skyray”は、全長195cm、スパン145cm、スケール約1/7。製作着手から10年、いまだ未完成のこの「空飛ぶエイ」に、届いたばかりのデンマーク製SimJetエンジンを装填しながら渡邉さんはいたく楽しげだ。

「実は、最初に製作したSkyrayはUコンでした。1951年刊行の『航空情報』第3集に収録された、『超音速で上昇力抜群』という書き出しの、艦上防空戦闘機ダグラスXF4D-1の写真と三面図に感動したのです。
この機体は、リピッシュ博士(ドイツ)の端正な無尾翼機のアメリカ版。敗戦国ドイツの航空遺産の継承を垣間見たようで感激し、未経験だった内装エンジン・無尾翼機の、コントロール・ライン版フライング・スケールモデルに挑戦したのです」

桐・檜を主材に、進駐軍のモデラーを拝み倒して手に入れたダイナジェット・エンジンを搭載、スピード記録樹立も狙った。1953年完成、初飛行。塗装にもこだわり、その後に判明した資料で再塗装も。

1993年に入手したアメリカの資料で構造や内装の詳細がわかるようになり、準備段階にあったラジコン版Skyrayの製作が本格化しました。
フランス製JPXジェットタービン・エンジンは1992年8月に運転に成功していましたし、胴体や引込み脚などの素材はアメリカから11月に届いていましたが、切り出した複雑なラインの胴枠が胴体にうまく合致しなかったり、操舵機構などのトラブルが生じたりして解決が遅れ、いつしか10年が経ってしまいました」

Model Specialties Co. U.S.Aから入手可能なこの機体は愛好者の特注に応えるもので、胴体コンポーネント及び主尾翼コアのみ。
木部、金属部品は一切含まれておらず、逐次別途の製作を必要とした。

「最初に搭載を予定したJPXジェットタービン・エンジンはプロパンガスを燃料とし、始動にはスキューバダイビング用ボンベが必要なので、飛行場所までの運搬には安全対策に相当気を遣います。
運転を電子制御化し、灯油を燃料とすることでこれらのボンベは不要となります。結局、2倍の推力を出す最新のSimJetエンジンを搭載することにしました。さすがに10年の進歩を見せつけられましたね」

今、塗装の段階に。完成予定は今年末。1つの機体への思い入れが半世紀に及ぶ。

 

飛翔あざやかなり

6月、渡邉さんの庭では、樹高6mに成長したオガタマノキに、ミカドアゲハが乱舞する。
オガタマノキはミカドアゲハの食葉。この稀少な蝶を幼虫から育て羽化させる渡邉さんは、蝶・トンボなどの飛翔生物の研究でも知られる。

「いくつになっても、航空機が空を飛ぶ姿には心底魅せられます。自然界の鳥や昆虫の飛翔も実に美しい。空中を身を翻して飛ぶ機能美。自力で飛べない分、一層惹かれますね」

ミカドアゲハとのつきあいは、教員2年目に生徒たちと羽化に取り組んで以来。これも半世紀を経た。

1993年、オーストリアでのF3C世界選手権にリポーターとして同行以来、海外に行く機会が増えた。1997年からは、FAI/CIAM国際模型航空委員会日本代表でもある。

「どの国にも、熱心に模型の未来を語る人がいます。
最近大変印象的だったのは、きちんとした模型教育のカリキュラムを作り、その教育を幼少時からシステマティックに行おうというアメリカの発表です。
航空王国アメリカでさえそうなのです。
飛行機の歴史はわずかに100年。日本の航空文化育成はまだまだこれから。いま国内の模型愛好家は2万人とも言います。航空の底辺を広げるに模型はピッタリなのですよ」

渡邉さんは、九州RC模型航空連合会始まって以来の事務局長だ。
組織運営の裏方も長い。HPを開けばいつも、その時宜にかなった報告や的確な提言に出会うだろう。パイオニアとしての責任感、そして自負が垣間見える。
模型航空ひとすじに、あざやかな航跡が描かれた。

渡邉専司さん

羽化直後のミカドアゲハ 写真協力:渡邉専司氏

以上のぺージはスカイネット1ドットコムさん、後藤加代子さんのご協力で、悠遊レポート14「模型航空ひとすじ飛翔あざやかなり 九州RC模型航空連合会 事務局長 渡邉専司さん」からに依るものです。

 

ヨーロッパの大型R/C機を見る

1996年 F4(フライング・スケール)世界選手権の会場は、フランスとはいってもパリ周辺とは異なって、豊かな景観を誇る美しい渓谷と、森林に覆われてなだらかに起伏する丘陵に囲まれたワインの銘醸地帯にありました。

会期中、連日の激務に従事したサージュ・ルポートル競技進行委員長は、実はボルドー地区の有名なワイン醸造元でもあり、食事の度毎に地元のペリグー模型航空協会などから芳醇なワイン、名産のチーズやフォアグラなどが振る舞われました。

ところで、今までにお伝えしてきたF4B(C/Lフライング・スケール)、F4C(R/Cフライング・スケール)の二種目の世界選手権、及び大型フライング・スケール国際競技とは別に、今回は開会式及び閉会式翌日に行われたデモンストレーション飛行大会などの参加機について記してみましょう。

1)7月21日の開会式に先立ち、実機格納庫の前がにわかに騒がしくなってきました。大型コンテナからスマートな胴体や後退角がかなりきつい主翼が姿を現し、私たちの目の前に引き出されたのです。 早速組立が開始され、フランス国産のJPX-T260タービン・エンジン4基を装備した「エアバスA340」が視線を浴びることになりました。
縮尺は1/15で、翼幅4.2m、全長4.67m、垂直尾翼翼端は地上から1.13mもあります。
重量は何と43kgとか。フラップ、スポイラはそれぞれ4枚が可動で、エルロンも4分割となっていました。
合計8輪のメイン・ギヤはエア・ブレーキ装備です。2個の受信機と27個のサーボの電源として4000mAのニッカド3個が積まれていました。
開会セレモニが終わって「フライトを開始する。」とのアナウンスがあり、参加者は実機のラン・ウエイへと移動します。
しかし、そこにはロープが張り巡らされて残念なことにA340ははるか200m先でスタートに取りかかっていました。
新型のT260タービン・エンジンは、従来のJPXエンジンに比べて外形寸法の変化は見られませんが、主としてコンプレッサとタービンの改良により静止推力はT240の4.4kgと比較して5.5~6kgへと向上しています(因みに、T260の現地での単価は15500フランでした)。
多発機だけに5人がかりでエア注入、スパーク点火やガス圧の調整などに手間取り、エンジン全基がヒューンという同調した心地よいサウンドを奏でるまでには10分近く掛かったのですが、参観者の視線は殆どがA340に釘付けになったままでした。
この機体の完成までには延べ18ヶ月、4000時間が必要だったと言います。
やがて緩やかなタキシングが始まり、ライトが私たちの眼前をかすめたかと思ったときにはもう機体は実機さながらに空に舞い上がっていました。
微かにタービン・オイルの焦げる匂いが印象的でした。
またこの機体の初飛行が1ヶ月と少し前の今年6月8日であり、今日が8フライト目であることを聞かされたときに、今回の世界選手権に威信を懸けたであろうフランス模型航空界の一端を垣間見た感じがしてきました。
約1kmの周回コースを高く低くフライトした後に、着陸灯を点けた巨体はごく自然にランディングを終えました。

2)会期中の7月25日、この日にF4Cの第2ラウンドが終了したのですが、私たちのランチ・タイムの間に、それまで格納庫前に展示されていたアメリカ空軍輸送機「ハーキュリーズ C-130」の1/6.2スケール機のフライトが開始されました。
現地の報道ではスイスのセルジュ・グェルダ氏(専門は馬術ですが、デモ・チームを編成して模型熱の普及に努めている人物です)の馬小屋から、コンテナ・トラックでこの会場へ昨日着いたばかりだとのことで、もちろん28日(日曜日)の飛行大会の呼び物となる一機です。
このグェルダ・チームはスイスを基地とし、今回のF4C世界選手権にニューポール28で出場して3位となったアンドレアス・ルティを含むスイス人パイロットや、クロード・マソン、ジェラルド・ロイヤルのフランス人パイロットで構成されています。
ヨーロッパで開催される大きなイベントには、常にこのチームのデモ・フライトが披露されています。
日曜日には、C-130を離陸から着陸まで間近で見学することが出来ました。
アメリカやドイツでも活躍しているアヴィアシォン・デヅィン社エリック・ランテ氏の好意で、エンジン始動も含めてJPX-T260装備の「エグゾセ」と「ラファール」のフライトを間近で見学する機会が与えられましたが、これら二機の飛行順序の中間に「C-130ハーキュリーズ」が入ってきたために好運が訪れたという訳です。
翼幅は6.5mもあり、重量は65kgに及ぶ巨体です。
さすがにガソリン・エンジン4基の始動や調整は手慣れたもので、取り付け幅が狭く見える複輪式の主脚が直ぐに地上から離れてあっけなく浮上しました。
ずっしりとした多発機特有の同調したエンジン音が周辺を制圧したかのようでした。

3)イギリスの第一次大戦複葉機「ロイヤル・エァクラフト・ファクトリィSE5a」の1/2スケール機もまたこのチームに所属しています。
翼幅4.1m、重量は何と80kgもあり、リンバック280ccエンジンの回転をベルトで減速しています。上翼上面に装備したルィス機関銃のダミーは、まさにアルバート・ボールやジェイムズ・マカドンなど第一次大戦中の名パイロットたちが敵機の腹側から一気に奇襲を仕掛けた様子を思い出させます。
1/2といえばもう実機ピッツS-1の翼幅5.2mに迫る大きさで、機体の整備状況を模したダミー人形もなかなかの実感を漂わせていました。
またブレーシングやターン・バックルやホイールなども実機でいえばマイクロライト機級です。
ウィーンというリダクション特有の甲高い爆音を残して上空へ、続いて往時を偲ばせる幾つかの空中戦バターンを描きました。
バターンの途中ではかなりの高度をとっている筈ですが、機体が大きいせいか演技のスピードはゆったりしているように見えます。
ハーキュリーズ同様にデモ・フライト慣れした数々のシーンをたっぷりと味わうことが出来ました。
翼幅9mを越えるグライダーのエアロ・トーイング、前記ジェット機による高速曲技飛行などなど、飽きがこない一日を満喫しました。想い出に浸りながら、10月に到着した「エグゾセ」をキットから製作中の毎日です。

 

空港にまつわる話

家に落ち着かなければならない年齢とは裏腹に、昨1999年に旅した航空路はあと大阪片道分を加えると何と赤道外周3/4の3万kmを軽く突破してしまいました。
現職時代よりも年間に走るくるまのキロ数が増えているのに驚いていたのはつい昨今のことですが、まさかここまでとは?理由は’Winds’1~3でお判りの通りです。
と言うことでジュネーブやフランクフルトなどそれまで未知の空港を含めて内外の空港を利用する回数もずっと増えました。
ところがそれに比例するかのように未経験のトラブルも出現してきました。
思い出してみると、バスに乗る回数よりも飛行機に乗る回数の方が多い年もありました。
今までが余りに平穏無事だったのかも知れませんネ・・・。

◎教訓その1. チケットレスサービスで購入していても相当額は現金所持のこと。
会議出席のために福岡空港へ。
支度も整い余裕を持って駐車場着。
しかし何かいやな予感が・・・。
確かポケットに入れたはずのキャッシュカードがないのです。
駐車場(低料金のところ程遠くにあるのです)にとって返し車内を探している中にチェックイン時刻が迫ってくる。
思いあまって家に電話したところガレージのそばに落ちていたのを今し方見つけたと言う。
家内を乗せたタクシーが、ほとんど不可能な20分以内で空港カウンターに付いたと同時にタイムアウトとなりました。
何とか次便に切り替えることが出来て遅刻15分でした。

◎教訓その2. 低料金に釣られて時間的に余裕のない便を選ばないこと。
講習会出席のために福岡空港へ。
特割と言っても搭乗する機種はボーイング747なので安心してベルトを締めました。
スタートしたのにGを体感する間もなくスローダウン。
駐機場で20分待てのアナウンスでいやな予感が・・・。
東京11時25分着の予定だっので午後1時開始に果たして間に合うのか。
機内で待つこと1時間。
空港内で隔離されたまま時間は流れて出発は午後1時、それまで他便への切り替えも出来ず、それに同乗客の動きがのろいこと。
2時間ほど遅延してしまったので歩いて5分の距離をタクシーに乗りました。

◎教訓その3. 間に合わないと判った時点で素早く次の便の予約に走ること。
入国時は夜だったので閑散としていたジュネーブ空港も、帰国時は混雑激しい午後1時で、スキー帰りのカナダ人家族の後に続いてチェックイン待ち中にサイレンの音。
カウンターまでの間に大きなスキー入りバッグをカーゴに積んだ約30人が・・・。
脚を出さないまま着陸した旅客機が座り込んだのでランウエイを閉鎖するとのアナウンスが喧噪の中で切れ切れに(日本語でないので)聞こえてきました。
疲れた身体を自ら支えて立つこと3時間、フランクフルト発・成田着便の出発時刻まであと5分だナ、と言うことはロケットなら・・・、と空虚な独り言をしつつ遅延証明と明日の便予約の列に並びました。
一人で無為に過ごすこと7時間、予期していなかったホテル泊はテニスコートや森に囲まれた瀟洒なところでした。

 

「第12回RC航空ページェント」を観る

かつて旧中島飛行機のテスト滑走路があったとされる群馬県新田郡尾島町の利根川河川敷で、毎年11月3日「文化の日」に尾島町及び電波実験社が主催する「RC航空ページェント」が開催されています。

昨98年は「ナイスミドルのキング・オブ・ホビィ」の副題を付けて第12回目のビッグ・イベントが開かれ、約35000人の観客がダイナミックに大空を翔る80機余りの演技に酔いしれました。

この催しの最大の魅力は出場機のオリジナリティにあります。

「ほんとに飛ぶのかナ?」と思わせる数々の飛行物体が活躍しました。

今回の目玉は、飛行中の後退角変化ではなく主翼そのままを0~60゜と斜めに変動可能なNASAの研究機「AD-1」で、実際に60゜に可変して特異なフライト振りをアピールしました。

プロペラを口内にセットした「鯉のぼりモドキ」は勿論胴中をプロペラ後流が通ります。

捻り翼を有する「フォッカーEⅢ・アインデッカー」や波形外板仕上げの「ユンカースF13」などのモデルは翼幅3m近くあり、エンジンの排気量も30ccを超えています。

一方では推力10kgを誇る最新タービンジェット・エンジンを装備したモデルなど推力が自重を超える機体もお目見えし、「ノースアメリカンF-86Fセーバー」4機による見事な編隊発煙飛行は正に圧巻でした。

例年優雅な舞いを披露する翼幅5m級の大型ソアラーに替わり、今回は翼幅75cmの手投げグライダー3機が出場しました。

滑走路上で発生する弱いテルミックを何とか掴みながら風下へと流れていきます。

ミニ化されたラジコン装置や軽量フィルム、カーボングラスを多用して全備重量は僅か120gしかありません。

凡その翼面荷重はジェット・モデルの200g/d㎡に比べて何と10g/d㎡の超軽量です。

ドイツから参加したアンドレア・ギーツ氏は、キュートなスタイルの1/3スケール「ジービー・レーサーR2」機に4サイクル星型7シリンダー180ccエンジンを装備し、1930年初期(ゴールデン・エイジ)の活躍振りを再現しようと試みました。

風防にパイロット名がデルマー・ベンジャミンとあり、原型機は1991年12月にオシュコシュでロール・アウトしたレプリカ機で あることを示しています。

給油に手間取って一寸気になりましたが力強いダッシュを見せてスタート、高度を取りながらの180゜ターン直後に何とエンストし、残念ながら滑走路を目前にしながら河原へ接地してしまいました。

後刻、電子メールの送受信で判ったことは「空港で燃料タンクのチェックを受けたときに排油コックをオープン状態にしたままだったが、不運にもそのことを(不時着の)後で気付いた」と言うことで、離陸直前にタンクは殆ど空に近い状態だったのですネ。

彼は仲間と一緒に別の三角翼ジェット機「カンガルー」で流麗な編隊飛行を見せてくれました。

ギーツ氏のホームページには、彼の模型歴に始まり、「ダグラスDC-3」や「ノースアメリカンP-51」などの材料キットなどを紹介していますので参考までにURLを付記します。http://www.fiberclassics.com

 

フランス航空宇宙博物館 駆け足見学記

昨年に続いてFAI-CIAM総会に出席するため、今年も3月に単独でパリを訪れる機会を得ました。

96年のフライング・スケールモデル世界選手権大会会場ペリグー空港で偶然出会ったフィッシェ氏一家(父親ジャックは模型飛行機ビルダー、母親マルティーヌは競技ジャッジ、息子マークはフライヤーで娘オーレリィは模型評論家という模型航空家族です)と、今では電子メールを週2度とり交わすほどの間柄になり、そのお陰で念願の「フランス航空宇宙博物館」見学を実現することが出来ました。

実は96年に、博物館がある「ル・ブルージェ」駅のバス乗り場までようやくたどり着くことは出来たのですが、その時既に帰国出発時刻が直前となっていたために、残念ながら見学を断念したのです。

幸運にも今回3月25日、家族皆さんがモンパルナスのホテルまでルノー・ワゴンで迎えに来てくれました。

市内観光を兼ねた約40分間、「暴走族」は”Chauffard”と言うとか、フィッシェ宅の庭では間もなく”Ohanami”が出来るとか盛り上がっている間にドライブは終わり、「フーガ・マジィステール」3機が織りなすゲートに着きました。

飛行場をそのまま博物館とした広大な館内は、右手に神話・伝説に始まりモンゴルフィエの熱気球、サントス・デュモンの飛行船など絵画や模型を含む歴史館、それに続く「ブレリオX1」「ドペルデュサン競走機」などの古典機館、また左手には宇宙ロケット館、続いて「ノースアメリカンP-51D」や「フォッケウルフFW-190A」などの第二次大戦機館(コンコルドを含む)、「F-84サンダージェット」や「DH100バンパイヤー」などの戦後初期の戦闘機館、そして一番のお目当てでもあった「レデュック022」、「SNECMA-C400垂直上昇機」や初期ヘリコプターなどを含む実験機館、及び「コードロン・シムーン」、各種のグライダーやオートジャイロを集めた民間機館、と興味は尽きませんでした。

従って閉館時刻の6時をとっくに30分近くもオーバーしてしまいましたが、それでも野外の「キャラベーユ」などは遠望したに過ぎません。

何度足を運んでも新たな発見ができることを確信しながら今回の駆け足見学を終わりました。

フィッシェ家族の皆さん、”Merci,beaucoup.”

 

春風に乗って

この度、RAML主宰者 久生友規氏の多大な技術援助により、待望の「九州RC模型航空連合会」ホームページを開設の運びとなりました。

前身である「九州RC飛行機クラブ」10年の活動を含めると、本会は発足以来実に38年間を経過し、飛行機、スケールモデル、グライダー、ヘリコプター、と広範囲にわたり、各種の「全九州RC模型航空競技大会」をはじめ「RCクラブ親善競技大会」や「競技規則研究会」などを開催し、九州地区にとどまらず広く参加者を集めて技術の向上やRC愛好者の親睦及び交友を深めて来ました。

このホームページがRC技術の進歩発展や安全飛行の推進などに少しでもお役に立つ事が出来れば幸です。
1998年3月15日